社長ごあいさつ
前略
まずはこの場をお借りして、常日頃より、
当社製品のご愛顧をたまわり、誠にありがとうございます。
昨今のめまぐるしい時代の変化は想像以上のものがあります。
強いこと、技術があること、組織が強大なこと等が企業生き残りの最終条件ではなく、
いかに変化に対応できるかが最大のポイントではないかと思われます。
キーワードは
@ 進取の気概
A スピード(品質を守りながら)
B 会社は社会の公器
このキーワードを基本として、お客様、当社社員、そして社会(協力会社を含む)の皆さまの
「三方よし」の広い精神をもって、社員一同たゆまない努力を続けてまいります。
今後とも、皆さまのさらなるご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。
草々
株式会社佐久間製作所
代表取締役社長
会社歴史アーカイブス(温故知新)
(会社歴史アーカイブス)
皆様のお蔭で、
当社は2019年に100周年(1919年大正8年12月創業)を迎えました。
これも一重に常日ごろからのご愛顧の賜物と存じます。
心より厚く御礼申し上げます。
さて、光陰矢の如しと申しますが、創業当時を知る者が少なくなりました。そこで残され資料と、先代から
の言い伝えを元に、創業の初心に戻るため、佐久間製作所の歴史ルーツをひも解いてみたいと存じます。
(第一話: 医療機器商店 岩本器械店へ入社)
時代は、先月までのNHK朝ドラマ「朝が来た」(201603終了)と同じ頃、日本橋にあった、当時医療機器
商社として名高い、岩本器械店へ、 当社の創業者 佐久間宰二が薬学専門学校(明治薬専)中退し薬問屋
を1店経験してから、明治44年に雑品部の主任として入店しました。(1911年)
年号は大正に代わり、その後第一次世界大戦(1914-1918)で米国と日本がイギリス、フランス、ロシア
の連合国へ味方同士であとから加わり、敵のドイツ、オーストリア、ブルガリア、オスマン帝国と戦った時代
です。徳島県でドイツ軍捕虜によるベートーベン交響曲第9番の演奏は有名です。そして 大戦終了の6年
後に不幸な関東大震災(1923年9月1日 死者約14万人推定)がおこりました。
どのようにその時々の苦難を乗り越えたのか? 激動の時代を振り返ってみます。
次回;
(震災前の前年:1922年、伊藤賢治氏の誘いで、佐久間宰二は横浜港から、2か月に及ぶ欧州見聞と買付
のため震災が来るとは夢にもしらずに出発したのでした。) つづく。 佐久間 慧
若きベンチャー創業者達(いわしや岩本商店幹部写真) 1917年ころ上野にて
前列左端 佐久間宰二、後列 左から永島廉平氏、2番目松井幹一氏、4番目伊藤賢治氏